なぜ日本の豚は麻酔なしで去勢されるのか?動物福祉の視点から考える
はじめに:知られざる養豚の現実
スーパーで手に取る豚肉。その裏側で何が行われているか、ご存じでしょうか。
実は日本では、オスの子豚の94.6%が麻酔なしで去勢手術を受けています。生後1週間以内の子豚に対し、鋭利なカミソリで陰嚢を切開し、睾丸を引き抜いて切除する——この痛みを伴う処置が、日本の養豚場では日常的に行われているのです。
この記事では、「豚 去勢 麻酔なし なぜ?」という疑問に答えるとともに、動物福祉の観点から日本と海外の違い、そしてこの問題が改善されない理由について詳しく解説します。
豚の去勢とは何か?その実態
去勢手術の方法
日本の養豚場で行われている去勢手術は、以下のような方法で実施されます:
- 生後1週間以内(生後7日以内が推奨)の子豚を対象とする
- 鋭利なカミソリやナイフで陰嚢(ふぐり)を切開
- 睾丸を引き出し、一気に引き抜く
- 精索を切断して除去
- 97.3%の農家が麻酔なしで実施
縫合もせず、消毒程度で処置を終えることが多く、子豚は激しい痛みで泣き叫びます。動画記録では、処置中の子豚の悲鳴や、処置後に震え、足がぐらつく様子が記録されています。
去勢による子豚への影響
麻酔なしの去勢が子豚に与える影響は深刻です。
- 即座の影響:激しい痛み、虚脱、硬直、震え、嘔吐
- 数時間後:お乳を吸う行動の減少、活動量の低下
- 2〜5日間:尻をひっかく、尾を激しく振る、身を寄せ合うなどの痛みに関連した行動
- 長期的影響:社会的結束力の低下、他の豚と同調しない行動
- 致命的なケース:心的外傷性疾患(PTSD)により死亡する子豚も存在
処置後の子豚は、臀部の痛みが収まり始めるまで横たわることができず、腹膜炎を起こして死亡するケースもあります。
なぜ麻酔を使わないのか?日本の事情
理由1:コスト削減
最も大きな理由は経済的なものです。養豚業者や獣医師からは、次のような意見が聞かれます。
「去勢ひとつ取っても、いちいち麻酔や縫合なんてしていたら、いったいいくらコストがかかるか。豚肉って安いでしょ。我々がこうしているから、安価であなたたちの食卓に届いているのです」
日本の豚肉価格は国際的にも比較的安価に抑えられており、その背景には動物福祉を犠牲にしたコスト削減があります。
理由2:「幼齢なら痛みが少ない」という誤解
日本の畜産業界では、「子豚は幼齢だから痛みを感じにくい」という根拠のない考えが広まっています。
しかし、これは完全な誤りです。科学的には、新生児であっても成体と同様に痛みを感じることが証明されています。人間の赤ちゃんに麻酔なしで手術をすることが虐待であるように、子豚に対しても同じことが言えます。
理由3:慣習と知識不足
日本の養豚業界では、長年の慣習として麻酔なしの去勢が当たり前とされてきました。
- 畜産技術協会の「アニマルウェルフェアの考え方に対応した豚の飼養管理指針」では、生後7日以内の実施を推奨しているものの、麻酔使用については義務化されていない
- 実際には、約3割の生産者が生後8日以上で去勢を実施しているという調査結果もある
- 動物の痛みを減らそうという意識や意思が全体的に不足している
理由4:規制の欠如
日本では、畜産動物の外科的処置に関する法規制が非常に弱く、罰則もありません。
動物愛護管理法は主にペット動物を対象としており、畜産動物に対する具体的な保護規定はほとんど存在しません。そのため、業界の自主的な判断に委ねられており、コスト優先の判断が続いています。
そもそも去勢は本当に必要なのか?
去勢の目的
日本で去勢が行われる理由は主に2つです
- 雄臭(ボアーテイント)の防止:性成熟した雄豚の肉には独特の臭いがつくことがある
- 攻撃性の軽減:性成熟期に達した雄豚は他の豚に乗駕し、怪我が増えるとされる
去勢は不要という証拠
しかし、これらの理由には疑問が呈されています
雄臭について:
- 豚が性成熟に達するのは生後7ヶ月頃
- 日本の豚は通常生後6ヶ月で出荷される
- つまり、性成熟前に出荷すれば雄臭の問題はほとんど発生しない
実際に、2015年に実施された去勢豚肉と未去勢豚肉の食べ比べ実験では
- 参加者45名のうち、どちらが未去勢肉かを正確に判別できた人は半数以下
- 「まずくて食べられない」という意見はなし
- むしろ「独特の風味があって未去勢豚肉のほうがおいしい」という意見もあった
攻撃性について:
- 生後5ヶ月頃から乗駕行動が増えるとされるが、6ヶ月で出荷すれば大きな問題にならない
- 飼育環境の改善(過密飼育の解消、放牧飼育など)で対応可能
代替手段の存在
去勢以外にも、以下の方法が存在します
- 早期出荷:性成熟前に出荷する(イギリス、アイルランドなどで採用)
- 免疫学的去勢製剤(ワクチン):注射による去勢効果(ブラジル、カナダなどで普及)
- 品種改良:雄臭を低減する遺伝的改良
特に免疫去勢製剤は、日本でも研究されていましたが、業界の積極的な導入姿勢がないため普及していません。
動物福祉の観点から見た問題点
アニマルウェルフェアとは
アニマルウェルフェア(動物福祉)とは、動物の生活の質を向上させ、不必要な苦痛を与えないという考え方です。
世界動物保健機関(WOAH、旧OIE)は、外科的処置について「動物への痛み、苦痛及び苦しみを最低限にする方法で行われるものとする」と規定しています。
麻酔なし去勢が虐待である理由
麻酔なしの外科的去勢は、以下の点で明確な虐待行為と言えます。
- 激しい痛みを伴う:生きた組織を切開し、臓器を摘出する行為
- 長期的な苦痛:処置後数日間にわたり痛みが継続
- トラウマ:心的外傷性疾患(PTSD)を引き起こす可能性
- 死亡リスク:ショックや感染症で死亡する個体も存在
「赤ちゃんだから痛みが少ない」という理屈は、人間の赤ちゃんに麻酔なしで手術をすることを正当化するのと同じです。これが許されないことは明白でしょう。
豚の知性と感情
豚は非常に知的で感情豊かな動物です。
- 自己認識能力を持つ(鏡の中の自分を認識できる)
- 優れた記憶力(何年も前に会った人を覚えている)
- 複雑な感情を持つ(喜び、悲しみ、恐怖、共感など)
- 遊び好きで好奇心が強い
- 他の豚や人間を見分けることができる
犬や猫と同等、あるいはそれ以上の知性を持つ豚に対し、麻酔なしで手術を行うことは、倫理的に許容できるものではありません。
海外ではどうしているのか?世界の動向
ヨーロッパの規制
ヨーロッパでは、動物福祉の観点から麻酔なし去勢を禁止する動きが広がっています。
麻酔使用を義務化している国
- ドイツ(2019年〜):イソフルランガスを使用した全身麻酔下でのみ許可
- ノルウェー:麻酔使用が義務
- スイス:麻酔使用が義務
- フランス(2022年1月〜):麻酔なしでの去勢を禁止
去勢自体を行わない国
- イギリス、アイルランド:長年の歴史を持つ無去勢生産
- ポルトガル、スペイン:無去勢が主流
- オランダ:540万頭の無去勢雄豚を生産(2023年時点)
- ベルギー:近年無去勢生産を開始
移行を進めている国
- デンマーク:未去勢雄豚の生産を拡大中(2022年時点で58万頭)、局所麻酔下での去勢も実施
- フィンランド、ルーマニア、ハンガリー:去勢脱却の準備中
EUの動き
2010年、欧州委員会は2018年までに豚の外科的去勢を自主的に終了する旨の宣言文を公表し、養豚部門の主要団体が署名しました。
また、EUは輸入豚肉に対しても動物福祉基準を設けており
- ブラジルからの輸入豚肉は、50%以上が免疫学的去勢または無去勢でなければならない
- 他の国・地域との貿易交渉でも去勢方法が議題となっている
北米・南米の状況
カナダ
- 2016年以降、麻酔なしでの去勢を禁止
- 大手食肉企業メープルリーフは2022年に外科的去勢を完全廃止
ブラジル
- 大手食肉企業JBS、BRFは免疫去勢製剤を使用し、外科的去勢を原則行っていない
- 最大のスーパーチェーン・カルフールブラジルは2025年末までに外科的去勢を廃止すると発表
- 食肉加工大手PifPafも2022年までの廃止を表明
アメリカ
- 州によって異なるが、動物福祉への関心が高まっている
- 一部の大手企業が自主的に改善を進めている
アジア・オセアニア
タイ
- 最大手食品企業CPフーズは去勢を避ける方針
- 2019年に70万頭以上の子豚の去勢を中止
中国
- 大手食肉企業WHグループは、一部農場でFDA承認の免疫去勢製剤を使用
このように、世界的には外科的去勢からの脱却、または麻酔使用の義務化が進んでいます。
なぜ日本は変わらないのか?
消費者の無知
最大の問題は、多くの日本人がこの事実を知らないことです。
- スーパーで豚肉を買う時、その豚がどのように飼育され、どんな処置を受けたかを考える人は少ない
- 「国産は安心・安全」というイメージが先行し、動物福祉の問題が見過ごされている
- メディアもこの問題をほとんど報じない
消費者の認知度が低いため、企業も政府も改善に取り組む動機が乏しいのです。
政治家が話題にしない理由
政治家がこの問題を取り上げない背景には、複数の要因があります。
- 票にならない:多くの有権者が関心を持たないため、選挙の争点にならない
- 業界への配慮:畜産業界は地方の重要な産業であり、規制強化は反発を招く
- 経済への影響懸念:コスト増が豚肉価格の上昇につながることへの懸念
- 知識不足:政治家自身がこの問題の深刻さを理解していない
欧米では動物福祉が政治的なアジェンダとなり、法規制が進んでいますが、日本では動物愛護管理法の対象が主にペット動物に限定されており、畜産動物は事実上放置されています。
業界の抵抗
日本の畜産業界には、現状を変えたくない強い慣性があります
- コスト増への懸念:麻酔の使用や代替手段の導入にはコストがかかる
- 慣習への固執:「今までこうやってきた」という意識
- 格付制度の問題:睾丸がある状態だと肉のランクを下げられるという、時代遅れの格付基準
- 研究開発の不足:免疫去勢製剤などの代替手段の研究が中途半端
情報の壁
畜産業界の実態は、消費者から見えにくくなっています
- 養豚場は一般人が立ち入れない閉鎖的な空間
- 業界内部の情報が外部に出にくい構造
- 動物福祉に関する情報開示が不十分
この「見えない」状況が、問題の改善を遅らせています。
日本での改善に向けた動き
動物福祉団体の活動
アニマルライツセンターなどの団体が、以下のような活動を行っています
- 麻酔なし去勢の実態を広く知らせる啓発活動
- 環境省、農林水産省への法規制の要望
- 企業への働きかけ(外科的去勢された豚肉を使わない方針への転換を要求)
- 署名活動の実施
一部企業の取り組み
残念ながら、日本の大手食肉企業で積極的に動物福祉改善に取り組んでいる例はまだ少ないのが現状です。
しかし、グローバル企業の日本法人などでは、親会社の方針に従って改善を進める動きも出始めています。
消費者ができること
私たち消費者にも、できることがあります。
- 知ること:この問題について学び、理解する
- 伝えること:家族や友人にこの事実を伝える
- 選ぶこと:動物福祉に配慮した生産者の製品を選ぶ
- 声を上げること:企業や政府に意見を伝える
- 消費量を見直すこと:肉の消費量を減らすことも選択肢の一つ
他の畜産動物の問題
豚の去勢だけでなく、日本の畜産業界には他にも多くの動物福祉上の問題があります:
豚の他の処置
- 断尾:尾を切断する処置(63.3%の農場で実施)
- 歯切り:犬歯をニッパーで切る処置(すでに必要性がないことが判明しているにもかかわらず継続)
- 耳の切り込み・ピアス:個体識別のため
これらもすべて麻酔なしで実施されており、EUでは原則禁止されています。
採卵鶏
- バタリーケージ(狭いケージでの密飼育)の使用率:日本では90%以上、EUでは2012年に禁止
- オスひよこの殺処分:年間約1億羽が生まれたその日に殺される
肉用牛
- 除角:麻酔なしで角を切除
- 屠畜場への輸送:水も与えられないことが多い(豚の85%、牛の50%)
まとめ:変化のために必要なこと
日本で豚が麻酾なしで去勢される理由をまとめると
- コスト削減のため
- 幼齢なら痛みが少ないという科学的根拠のない思い込み
- 法規制の欠如
- 業界の慣習への固執
- 消費者の無知と無関心
- 政治的な優先度の低さ
そして最も重要なのは、多くの人がこの事実を知らないことです。
変化のために必要なこと
- 情報の共有:より多くの人にこの実態を知ってもらう
- 法規制の整備:動物愛護管理法に畜産動物の保護規定を盛り込む
- 業界の意識改革:動物福祉を経営の重要課題と位置づける
- 消費者の選択:動物福祉に配慮した製品を選ぶ
- 政治的な議論:選挙の争点として取り上げる
おわりに:私たちにできること
毎日の食卓に並ぶ豚肉。その裏側で、生まれたばかりの子豚たちが麻酔なしで手術を受け、痛みで泣き叫んでいます。
この事実を知った今、私たちは選択を迫られています。
- 知らなかったことにして、今まで通りの生活を続けるのか
- この問題について考え、小さくても行動を起こすのか
欧米では、消費者の意識の高まりが企業を動かし、法規制につながり、畜産動物の待遇が改善されてきました。日本でも同じことができるはずです。
まずは知ること。そして、できる範囲で行動すること。
一人ひとりの小さな選択と行動が、やがて大きな変化を生み出します。動物たちのために、そして私たち自身の倫理観のために、この問題から目を背けることなく向き合っていきませんか。
参考情報:
- 畜産動物たちに希望を Hope For Animals
- NPO法人アニマルライツセンター
- 動物解放団体リブ
- 世界動物保健機関(WOAH)
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