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イルカ漁禁止に反対する声がある理由と、私がイルカ漁に反対する理由

イルカ漁 禁止 なぜ 反対

 

 

はじめに

 

「イルカ漁 禁止 なぜ 反対」というキーワードで検索されている方は、おそらく二つの疑問を持っているのではないでしょうか。一つは「なぜイルカ漁の禁止に反対する人がいるのか」、もう一つは「なぜイルカ漁そのものに反対する声があるのか」という疑問です。

 

私自身は、イルカ漁に反対の立場をとっています。しかし、この問題は単純ではありません。日本の伝統文化、漁業従事者の生計、動物福祉、国際的な批判など、様々な要素が複雑に絡み合っています。

 

この記事では、イルカ漁をめぐる議論の両面を紹介しながら、なぜ私がイルカ漁に反対するのか、そしてこの問題について私たち一人ひとりがどう考えるべきかを述べていきます。

 

 

日本におけるイルカ漁の現状

 

まず、現状を正確に理解することが重要です。日本ではイルカ漁自体は禁止されていません。和歌山県太地町をはじめとする一部の地域で、追い込み漁などの方法でイルカが捕獲されています。

 

ただし、重要な規制が一つあります。それは、追い込み漁で捕まえたイルカを水族館が購入してはいけないという決まりです。これは日本動物園水族館協会(JAZA)が2015年に決定したもので、世界動物園水族館協会(WAZA)からの除名圧力を受けての判断でした。

 

この決定により、日本の水族館は追い込み漁で捕獲されたイルカを入手できなくなりました。しかし、イルカ漁そのものは法的に禁止されておらず、食用などの目的で継続されています。

 

 

なぜ国際社会はイルカ漁に反対するのか

 

動物の知能と感情への配慮

国際社会がイルカ漁に反対する最も大きな理由は、イルカの知能の高さと豊かな感情を持つ動物であることです。イルカは以下のような特徴を持っています。

  • 高度な認知能力を持ち、自己認識ができる
  • 複雑なコミュニケーション能力を持つ
  • 社会的な絆が強く、家族や仲間との関係を重視する
  • 遊びや好奇心といった高次の感情を持つ
  • 痛みやストレスを感じる神経系を持つ

このような知的で感情豊かな動物を、追い込み漁という方法で大量に捕獲し、殺処分することに対して、多くの動物保護団体や国際世論が強い反対を表明しています。

 

 

追い込み漁の残酷性

特に批判の対象となっているのが「追い込み漁」という捕獲方法です。この漁法では、複数の船でイルカの群れを湾に追い込み、網で囲い込んで捕獲します。

この過程で、イルカたちは以下のような苦痛を経験すると指摘されています。

  • 船のエンジン音や金属音によって方向感覚を失う
  • パニック状態で逃げ惑う中で仲間と引き離される
  • 狭い場所に閉じ込められることによる極度のストレス
  • 殺処分される際の痛みと恐怖

ドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』が太地町の追い込み漁を取り上げたことで、この問題は世界的な注目を集めました。映像で捉えられた海が血で染まる光景は、多くの人々に衝撃を与えました。

 

 

生態系への影響

イルカは海洋生態系において重要な役割を果たす頂点捕食者です。個体数の減少は、海洋生態系全体のバランスに影響を与える可能性があります。

また、一部のイルカ種は個体数が減少しており、持続可能性への懸念も指摘されています。

 

 

なぜ日本はイルカ漁を続けるのか—禁止に反対する理由

 

一方で、日本がイルカ漁を続ける背景、つまり「禁止に反対する理由」も理解する必要があります。

 

伝統文化としての側面

日本の一部地域では、数百年にわたってイルカやクジラを食用として利用してきた歴史があります。支持者たちは、これを以下のように主張します。

  • 地域の食文化の一部である
  • 先祖代々受け継がれてきた伝統的な漁法である
  • 文化の多様性を尊重すべきである

 

漁業従事者の生計

太地町など、イルカ漁に依存してきた地域の漁業従事者にとって、これは重要な収入源です。特に小規模な漁村では、イルカ漁の禁止は経済的打撃となる可能性があります。

 

 

主権と文化相対主義の問題

日本政府や漁業関係者の中には、「欧米の価値観を押し付けられている」という反発があります。彼らの主張は以下のようなものです。

  • 欧米でも牛や豚を食べているのに、なぜイルカだけが批判されるのか
  • 文化や食習慣は国や地域によって異なるべきである
  • 日本の主権や文化的自決権が侵害されている

 

「選択的な動物愛護」への批判

イルカ漁に反対する一方で、工場畜産などには目を向けない「選択的な動物愛護」に対する批判もあります。なぜ可愛いと感じる動物だけが保護されるべきなのか、という問いかけです。

 

 

私がイルカ漁に反対する理由

 

これらの議論を理解した上で、私はなぜイルカ漁に反対するのか。それは単純に「可哀想だから」という感情論だけではありません。

 

 

子供時代の思い出と価値観の変化

私は子供の頃、水族館のイルカショーを見るのを楽しみにしていました。賢いイルカがトレーナーの指示に従って華麗にジャンプする姿に、心から拍手を送っていました。それは私にとって、楽しく純粋な体験でした。

けれど、大人になって事実を知ったとき、私の気持ちは変わりました。イルカショーを見たいとは思わなくなったのです。

 

 

水族館のイルカが抱えるストレス

水族館にいるイルカたちは、様々なストレスを抱えています。

 

狭い空間での生活: 野生のイルカは1日に数十キロメートルも泳ぎ、深く潜ります。しかし水族館のプールは、彼らの自然な行動範囲と比べてあまりにも狭すぎます。

 

音響環境の問題: イルカは音波を使って周囲を認識する動物です。水族館のコンクリート壁は音を反響させ、イルカのエコーロケーション能力を混乱させます。観客の歓声や音楽も、彼らにとっては大きなストレスとなります。

 

異常行動の発生: こうしたストレスの結果、水族館のイルカには以下のような異常行動が見られることがあります。

  • 同じ動きを繰り返す常同行動
  • プールの壁に頭や体をぶつける自傷行為
  • 無気力や食欲不振
  • 攻撃的な行動
  • 短命化

これらの行動は、野生のイルカには見られないものです。明らかに、水族館という環境が彼らにとって自然ではなく、苦痛を伴うものであることを示しています。

 

 

「必要のないもの」という判断基準

私は、何でもかんでも「可哀想」と批判するつもりはありません。人間社会には、動物を利用することで成り立っている側面が確かにあります。

しかし、イルカ漁やイルカショーは、人間の生存や健康に必要不可欠なものでしょうか。答えは明らかに「いいえ」です。

 

食用としての必要性: 日本でイルカ肉を日常的に食べている人は、極めて少数です。栄養学的にも、他の食品で十分に代替可能です。また、イルカ肉には水銀などの有害物質が高濃度で含まれることも指摘されており、健康リスクさえあります。

 

娯楽としての必要性: イルカショーは確かに娯楽の一つですが、それは動物に苦痛を与えてまで行う必要があるものでしょうか。現代では、VR技術や高度な映像技術を使って、動物を捕獲することなく教育的かつ感動的な体験を提供することが可能です。

 

必要のないものは、一刻も早くなくなってほしい。これが私の率直な思いです。

 

 

イルカビジネスへの不参加

私は、自分の価値観に基づいて、一切イルカビジネスに関わらないという選択をしています。

具体的には以下のような行動です。

  • イルカショーを見に行かない
  • イルカと泳ぐツアーなどに参加しない
  • イルカの飼育展示を行っている水族館には行かない
  • イルカビジネスを支援する企業の製品をなるべく避ける

これは誰かに強制するものではありません。しかし、一人ひとりが自分の消費行動を通じて意思表示することは、長期的には大きな変化につながると信じています。

 

 

文化相対主義と普遍的な動物福祉の間で

 

「文化の違いを尊重すべきだ」という主張は、一見正当に聞こえます。しかし、この論理には限界があります。

 

 

文化だからといって正当化できないこと

歴史を振り返れば、「文化」や「伝統」の名のもとに行われてきた多くの慣習が、時代とともに見直されてきました。

  • 女性の人権を制限する慣習
  • 児童労働
  • 奴隷制度
  • 動物虐待を伴う娯楽(闘犬、闘牛など)

これらはかつて、その社会では「伝統」や「文化」として受け入れられていました。しかし、人権や動物福祉に対する理解が深まるにつれて、多くの国で禁止されるようになりました。

 

 

知的な存在への責任

イルカの場合、その高い知能と豊かな感情が科学的に証明されています。自己認識ができ、仲間と複雑なコミュニケーションを取り、痛みや恐怖を感じる存在です。

 

こうした知的な存在に対しては、文化の違いを超えて、一定の配慮と保護が必要ではないでしょうか。

 

 

代替案と未来への道筋

 

イルカ漁を批判するだけでは、問題は解決しません。では、どのような代替案があるのでしょうか。

 

 

漁業従事者への支援

イルカ漁に依存してきた地域の漁業従事者には、以下のような支援が必要です。

  • 他の漁業への転換支援
  • 観光業への転換(ドルフィンウォッチングなど)
  • 新しい技能習得のための教育訓練プログラム
  • 経済的補償や移行期間の所得保障

 

太地町の例で言えば、かつてイルカ漁で知られていたこの町が、イルカを殺さずに観察する「ドルフィンウォッチング」の町へと転換することは、十分に可能です。実際、世界中の多くの地域で、クジラやイルカのウォッチングツアーが大きな観光産業となっています。

 

 

水族館の役割の再定義

水族館が教育的価値を持つことは否定しません。しかし、それは生きたイルカを狭いプールに閉じ込めることなく実現できます。

  • 野生のイルカの生態を学べるVR体験
  • 保護や救助が必要な動物のみを一時的に保護する施設への転換
  • イルカの知能や生態に関する展示や教育プログラム
  • 野生のイルカを観察するフィールドトリップ

 

消費者としての選択

最終的に、イルカビジネスを成り立たせているのは消費者です。私たち一人ひとりが以下のような選択をすることで、変化を促すことができます。

  • イルカショーのある水族館には行かない
  • イルカとの触れ合い体験に参加しない
  • この問題について学び、周囲の人と対話する
  • 動物福祉に配慮した施設を支援する

需要がなければ、供給も減少します。これは経済の基本原理です。

 

 

「可哀想論」を超えて

 

「動物が可哀想」という感情だけでは、説得力のある議論にはなりません。しかし、科学的事実と倫理的考察を組み合わせれば、説得力のある主張が可能です。

 

 

科学が示すイルカの特殊性

近年の研究により、イルカは以下のような特徴を持つことが明らかになっています。

  • 鏡を使った自己認識テストに合格する(自己意識を持つ)
  • 個別の「名前」(固有の鳴き声)を持ち、互いに呼び合う
  • 道具を使用する能力を持つ
  • 文化的な学習を行う(地域ごとに異なる狩りの技術を伝承する)
  • 他の個体を助ける利他的行動を示す

 

これらの特徴は、かつては人間だけが持つと考えられていたものです。こうした存在を、娯楽や不要な食用のために殺すことは、倫理的に正当化できるでしょうか。

 

 

倫理的な一貫性

もし私たちが犬や猫を食べることに嫌悪感を抱くなら、同等かそれ以上の知能を持つイルカに対しても同じ配慮をすべきではないでしょうか。

 

「牛や豚も殺している」という反論については、二つの点を指摘できます。

第一に、牛や豚の工場畜産も、動物福祉の観点から批判されており、改善が進んでいます。一つの問題が存在するからといって、別の問題を無視してよいことにはなりません。

 

第二に、家畜は人類が何千年もかけて品種改良してきた動物であり、野生のイルカとは異なる歴史的文脈があります。また、畜産は世界中の多くの人々の食料供給に不可欠ですが、イルカ漁はそうではありません。

 

 

変化は可能である

 

悲観的になる必要はありません。実際、世界は少しずつ変わってきています。

国際的な動き

  • 多くの国でイルカの商業捕獲が禁止されている
  • 欧米の多くの国で、イルカの飼育展示が禁止または厳しく規制されている
  • カナダは2019年にクジラ・イルカの飼育を禁止する法律を制定
  • フランスも2021年に段階的な禁止を決定

 

日本国内の変化

  • JAZAの決定により、追い込み漁で捕獲されたイルカの水族館への販売が制限された
  • 若い世代を中心に、動物福祉への関心が高まっている
  • 一部の水族館が、イルカショーの内容を教育的なものに変更している
  • SNSなどを通じて、この問題についての情報が広がっている

 

個人ができること

「自分一人が何かしても変わらない」と思うかもしれません。しかし、大きな変化は常に個人の小さな選択の積み重ねから生まれます。

  • 情報を得て、自分なりの判断を持つ
  • 家族や友人とこの問題について話す
  • 動物福祉に配慮した消費選択をする
  • 署名活動やキャンペーンに参加する
  • SNSで情報をシェアする

 

おわりに:「必要のないもの」をなくす勇気

 

私は、イルカ漁に反対します。それは感情的な「可哀想」だけではなく、以下の理由によるものです。

  1. イルカは高度な知能と豊かな感情を持つ存在である
  2. 追い込み漁は動物に多大な苦痛を与える
  3. イルカ肉の消費は人間の生存に必要ではない
  4. イルカショーは動物に苦痛を与える娯楽である
  5. 現代技術により、動物を犠牲にしない代替手段が存在する

私は何でもかんでも「可哀想」と批判するつもりはありません。人間社会には、動物を利用することで成り立っている側面があることも理解しています。

しかし、「必要のないもの」は話が別です。

 

イルカ漁もイルカショーも、人間の生存や健康、教育に不可欠なものではありません。それは娯楽であり、嗜好であり、伝統という名の惰性です。

ならば、知的で感情豊かな存在に苦痛を与えてまで続ける理由はあるでしょうか。

 

「伝統だから」「文化だから」という言葉は、思考停止の言い訳になりがちです。本当に大切な伝統や文化は、他者(人間であれ動物であれ)の苦痛の上に成り立つものではないはずです。

 

変化には勇気が必要です。慣れ親しんだものを手放すことは、簡単ではありません。

しかし、私たちは考える力を持っています。共感する心を持っています。そして、より良い選択をする自由を持っています。

 

私は、イルカビジネスに一切関わらないという選択をしました。それは私にとって、小さいけれども確かな一歩です。

必要のないものは、一刻も早くなくなってほしい。

その日が来るまで、私は自分にできることを続けていきます。

 

あなたはどう考えますか?どんな選択をしますか?

この問いに対する答えは、一人ひとり異なるかもしれません。しかし、無関心でいるのではなく、考え、選択すること。それこそが、変化への第一歩なのです。

 


参考リンク

  • 日本動物園水族館協会(JAZA)
  • 世界動物園水族館協会(WAZA)
  • イルカ&クジラ・アクション・ネットワーク

※本記事は個人の見解に基づくものであり、特定の団体や組織の見解を代表するものではありません。

 

 

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この記事を書いた人

阪本 一郎

1985年兵庫県宝塚市生まれ。
新卒で広告代理店に入社し、文章で魅せるということの大事さを学ぶ。
その後、学習塾を運営しながらアフィリエイトなどインターネットビジネスで生計を立て、SNSの発信力を磨く。
ある日公園で捨てられていた猫を拾ってから、自分の能力を動物のために使いたいと思うようになり、猫カフェを開業。
ヴィーガン食品、平飼い卵を使った商品を開発。
今よりもっと動物が自由に生きられる世の中にしたいと思い、行動しています。

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