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猫の看取りで後悔しないために。飼い主の心の準備を。

猫の看取りで後悔しないために準備すること

 

慢性腎不全のゴメくんを2週間ぶりの病院に連れていきました。

この1ヶ月、というより1年半、点滴とセミントラの投薬を頑張ってきましたがついに点滴と薬でも腎臓の数値をコントロールできなくなりました。

本人はここにきて元気になり一日4食を食べ体重も少し戻ったのですが、数値は悪化する一方。

おそらくこれが最後の病院になると思っています。

私が後悔しないために準備していることを。

 

 

最後に元気になる猫あるある

 

今のゴメくん、一ヶ月前に比べて元気なのですが、これはSNSの読者さんにも経験されたことがある人が多いのですがなぜか猫は亡くなる前に一度元気になる期間があったりします。

なので、飼い主はまだ治療を頑張れば治るのではと錯覚してしまいそうな嬉しい気持ちになる時間でもあるのですが…。

おそらくゴメくんも数値は悪化しているのに元気なところを見せようと私の目の前でごはんを食べてくれます。

きっと、気を使ってくれているのでしょう。

寂しがるなよ、元気な姿を覚えておけよと言ってくれている気がしています。

 

 

今日、血液検査をして点滴の頻度を増やしたのにも関わらず前回よりもさらに数値が悪化していて、もう体が限界なのを悟りました。

獣医師と相談した結果、無理をして延命しないこと、体が限界で病院に連れてくることはもしかしたら最後になるかもしれないということ。

もう十分お別れの前に頑張ってくれています。

たくさんの時間を一緒に過ごせて、いつお迎えが来ても後悔しないくらい穏やかな時間です。

最後まで一緒にいたいので、予定はほとんどキャンセルしましたがもし万が一最後の心臓の鼓動が止まる瞬間を見られなくても後悔しません。

 

 

飼い主が後悔しないための準備

 

もう何匹も犬猫を看取ってきた私ですが、一切馴れることはないし悲しくて心が重たくなります。

けれど、死と向き合うたびに学ぶこともたくさんあり、自分はどう生きてどう死にたいのかを改めて考える時間になります。

 

 

飼い主が後悔することとして多いことが、もっと一緒にいたら良かったということ。

うん、今この瞬間が大事です。

後悔しないためにも読み終わったらナデナデしにいきましょう。

 

 

私が23歳の時、11年を共にしたゴールデン・レトリーバーを看取りました。

たまたま亡くなったのが日曜日の午後。

大学時代は時間がたくさんあったので毎日庭で遊んでたくさんの時間をともに過ごせたのでもっと遊んでやればよかったという気持ちはなく充実した日々を過ごせていました。

問題は次の日。

火葬をするので半休もらいますねと会社に告げると却下されました。

ペットの葬儀で仕事を休むなと。

え??まじで?仕事なんかよりもよっぽど大事なんですが。

営業会社だったので仕事を無視して家に帰ったりましたが、ペットの看取りと見送りをできないのは本当に後悔が残ります。

ちなみにそのブラック企業は倒産し、今はない会社です。

そんな会社に私の貴重な一日を捧げなくてよかったとあの時の決断をした自分がナイスでした。

 

 

次に多いのが、看取れなかったということ。

こちらに関しては私も結構あります。

私が寝ている時に逝ってしまう子が半分くらい。

結構後悔します。

けれど、井上まゆみさんという私の友達の死生観の話を聞いて考えが変わりました。

生き物はいつ死ぬのか。

医学的な死は【呼吸が止まる】【心臓が止まる】【瞳孔が動かず意識がない】ということが揃った時に医師が診断するそうです。

では、心臓が止まった瞬間に肉体が死んでいるかと言われればそうではありません。

心臓が止まっても聴覚はまだ働いているということは有名な話です。

そして、聴覚がなくなっても最後まで残っているのが触覚。

体が温かい間はまだ細胞が生きているので触られているのを感知しています。

 

 

何が言いたいかといいますと、心臓が止まったから終わりではないし、その瞬間を看取れなかったとしてもまだ体は感覚があります。

体の細胞が最後のお仕事を終えるまでしっかり見送ってやってください。

もっというと、全く根拠はありませんが魂は生き続けていると思っています。

その子との思い出を大切に胸にしまってまた自分がそちら側の世界に行くまでのちょっとの間のお別れになりますが、私は見送る猫が増えるたびにあの世へ行くことが楽しみになっていて自分が死ぬことに対して未練がなくなっています。

もちろん皆を見送ってから自分が死ぬつもりですが。

 

 

ということで、一緒にいる時間をたくさんつくることと最後の心臓が止まる時を共にできなくても細胞が生きている間は肉体が生きているのでお別れの時間を大切に。

 

 

最後の治療はどこまで頑張らせるか

 

私自身、若い頃は1秒でも長く生きてほしいのでそのためならばどんな治療もするという考えでした。

しかし、ゴールデン・レトリーバーを看取った時に最後はがんで開腹手術までしたのですが少し延命できたくらいで余計に苦しめてしまったのかなと思うようにもなりました。

そして、私の祖父も脳出血で倒れたまま脳死の状態になり、家族が延命を決断しました。

2年間、チューブに繋がれっぱなしで意識もなく、人工呼吸器で生きている状態。

お見舞いを行くのも辛かったですし、私が死ぬ時は延命しないでほしいとその時決意して家族に伝えました。

保護猫活動を通じて死と向かい合い、自分が死ぬ時はこう死にたいとかいろいろ決めています。

なので、今日一日もやりたいことをしていますし、もし余命宣告されたとしても残された猫の居場所を見つけられるかは心配ですが自分自身は特に悔いもないのでそこまで動揺しない気がしています。

逆に家族や猫の余命宣告をされたらめちゃくちゃ動揺しますけどね。

 

 

話を戻しますと、どこまで猫の治療をすべきか。

治療と言っても病気を治すための治療と最後に楽に逝けるように緩和ケアの治療とがあります。

大体の人は前者を最後までやって、逆に苦しい期間を長くしてしまうこともあります。

私の判断基準ですが、治療して治る可能性が高い病気は入院してでも治療します。

しかし、治る見込みの少ない病気、例えば癌や腎不全はいかにがんばらさずに楽に看取れるかを重視しています。

頑張れば、寿命を延ばせるかもしれません。

しかし、それは猫にとって幸せなのか。

私自身、長生きした人生が幸せという価値観はなく、何歳まで生きたかよりもどう生きたかのほうが大事。

なので、猫にも苦痛な時間を過ごさせたくないし、いつもどおりの日常の中で最後を迎えてほしいので治る見込みがないのに入院して治療をしながら死ぬという選択はまずしません。

 

 

死と向き合いことは日本ではいけない空気感がありますが、どう死にたいか、どう生きたいか、周りの人と共有しておくことはとても大事だと思います。

死ぬまでにしておきたいことはないかも年齢を重ねるたびに確認しながら最後まで自分の生きたいように生きてほしい。

猫の場合、多分それはいつも通りの日常を過ごすことなんでしょう。

ゴメくんも私や他の猫と過ごす時間を大切に今日を生きています。

今のところ、数値の割には特にしんどそうでないのが私の心に余裕を持たせてくれますが、おそらく食べれなくなるのももう時間の問題。

その時に焦らずに、楽に見送ってやれる準備がもう私にはできています。

今は一緒にいられる時間を楽しみます。

 

 

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この記事を書いた人

阪本 一郎

1985年兵庫県宝塚市生まれ。
新卒で広告代理店に入社し、文章で魅せるということの大事さを学ぶ。
その後、学習塾を運営しながらアフィリエイトなどインターネットビジネスで生計を立て、SNSの発信力を磨く。
ある日公園で捨てられていた猫を拾ってから、自分の能力を動物のために使いたいと思うようになり、猫カフェを開業。
ヴィーガン食品、平飼い卵を使った商品を開発。
今よりもっと動物が自由に生きられる世の中にしたいと思い、行動しています。

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